「短歌ください」に掲載されました

6月6日発売の雑誌『ダ・ヴィンチ 7月号』

P.68「短歌ください テーマ:昼寝」に掲載されました。

どうもありがとうございます。

本屋さんなどでお見掛けの際は、読んでいただけたら嬉しいです。

よろしくお願い致します。

 

 

ダ・ヴィンチ 2017年7月号

ダ・ヴィンチ 2017年7月号

 

 

詩人会議新人賞贈呈式に行ってきました

 5月28日、葛西臨海公園内にあるホテルシーサイド江戸川にて行われた詩人会議新人賞贈呈式に出席してきました。以下にご報告させていただきます。

 

f:id:sekineyuji:20170528164958j:plain

 

f:id:sekineyuji:20170528174229j:plain

 

 まず選考委員長の方より今回の総評のお話がありました。今回より筆者の名前を伏せて審査を行ったこと。それによってより公平な審査になったこと等。また、僕の「秋の匂い」という詩についても、選考理由などをお話ししてくださいました。

 

 他の方の評の中で語られた「繊細さというのは弱さではない。しなやかな強さなのだ」というお話は大変心に残りました。またその方がテーブルで「賞なんか取ったら一生詩にとりつかれるからね」ともおっしゃっていて、大変重く受け止めさせていただきました。覚悟を決めて臨まねばならないと身が引き締まる思いでした。

 

 次に表彰状や花束などをいただき、併せて受賞スピーチをさせていただきました。皆さん熱心に耳を傾けてくださり、たいへん恐縮致しました。

 

 そして記念写真の撮影を経て、懇親会へ。

 

 同じテーブルには他の受賞者の方々がいらしたのですが、何故かどの方も初めてお会いしたような気がしませんでした。事前にそれぞれの方の受賞作を読み込んでいたからかもしれません。詩の中で一度お会いしているからかもしれません。皆さん、作品から感じられるとおりのお人柄という感じがしました。

 

 食事をしながら色々なお話をさせていただきました。「何年くらい書いているんですか?」「どんなときに詩を書きますか?」「どこで発表されていますか?」「小説を書いたことはありますか?」e.t.c. 詩を書いている者同士だからこそできる話題。そういう方々とお話しできる機会はこれまでほとんどなかったので、とても楽しいひとときでした。

 

 歓談中も多くの方々(そのほとんどは詩の大先輩の方々)がわざわざテーブルまでお祝いの言葉をかけに来てくださり、これまた大恐縮でした。皆さんご丁寧で優しい方ばかりだったなあ。

 

 続いてシャンソン歌手の方の歌があり、大変お美しい声を聴かせていただきました。

 

 そして、再び僕の番が来て今回の受賞作を朗読させていただきました。僕は朗読をするのは初めてのことで、緊張しまくっていましたが、皆さん熱心に聴いてくださり大変ありがたかったです。

 

 閉会後も、多くの方々に声を掛けていただき、色々な方とお話することができました。詩を書いている方ばかりが一堂に会する場に身を置くというのは初めての経験でしたが、皆さん本当にあたたかい方ばかりでした。

 

 では、ご報告の最後に僕が話した受賞スピーチの概要を文字に起こしてみようかなと思います。覚えている範囲で、ざっくりとですが・・・。

 

 手前味噌でお恥ずかしいですが、せっかく貴重な場を与えていただいたので記録として残しておくためにも・・・。

 

 感謝の意を込めて。

 

 

 

【受賞スピーチ概要】

 

 このたびは歴史の深い名誉ある賞をいただき本当にありがとうございました。

 

 僕は16歳の頃から29年間詩を書いていますが、このような場に立たせていただける日が来るとは夢にも思いませんでした。まだ信じられません。

 

 2月の頭くらいにお電話でご連絡をいただきましたが、とても信じられず、何かのドッキリじゃないかと思いました。それからは毎日どこかからドッキリのプレートを持った人が出てくるんじゃないかとビクビク過ごしておりました。

 

 後日改めて受賞のお手紙をいただき、そこに自分の名前が書かれているのを見てほっと胸を撫で下ろしていましたら、ちょうどそのときニュースでアメリカのアカデミー賞授賞式のことをやっていまして・・・。作品賞に手違いがあったという・・・。えー!? そ、そんなことがあるの?? なんて縁起の悪い・・・と。たしかあのときも受賞スピーチが終わった後で「ラ・ラ・ランドではなくて、ムーンライトでした」ということだったので、僕もこのスピーチが終わった途端に間違いでしたと言われるのではないかとまだビクビクしております。

 

 今回の「秋の匂い」という詩は、目の見えない方について書かせていただきました。正直申し上げてそれはたいへん難しいテーマでしたが、ムサシという犬が壁を突破するきっかけを作ってくれたような気がします。ムサシのおかげで最後まで書ききることができました。本当を言えば目の見えない方に一番読んでいただきたいです。

 

 たまたま昨日僕はチャップリンの「街の灯」という映画を生オーケストラで鑑賞してきました。盲目の花売りの娘と浮浪者の恋を描いた1931年の映画です。

 

 観終って会場を出ましたら、ちょうど盲導犬を連れた女性が出ていらっしゃいました。「この方はどうやって映画を楽しんだのだろう? 音楽だけを聴きに来たのだろうか?」と疑問に思い、パンフレットを読んでみましたら、目の不自由な方のために「音声ガイド」を用意していると書かれていました。なるほど、映画というのはそういう楽しみ方もあるのか・・・と思うと同時に、詩にももっと様々な境遇を抱えている方に楽しんでいただけるような工夫の余地や可能性があるのではないだろうか・・・と考えさせられた次第です。

 

 このたび「秋の匂い」を選んでくださった選考委員の方々、詩人会議に関わる多くの皆様に深く感謝申し上げます。またこれまで僕を励まし、慰め、ときに叱咤してくれた詩を書いてこられたすべての方々に敬意を表して、簡単ではございますが挨拶の言葉とさせていただきます。本当にどうもありがとうございました。

 

   2017年5月28日 ホテルシーサイド江戸川にて

 

 

 

f:id:sekineyuji:20170528215749j:plain

 

学級日誌

 高校三年生のとき、うちのクラスは「日直」ではなく「週番」というシステムが取り入れられていた。要は日直の仕事を各生徒が「日替わり」ではなく「週替わり」で交替するのである。

 

 その週番が、僕とある女子にまわって来た。僕はその女子に「学級日誌は全部オレが書くよ」と言って引き受けることにした。そして、本来であればその日の天気・行事・授業内容・課題などを書くべきその学級日誌に、僕は勝手に連載小説のようなものを書き始めた。クラスメイトの一人が殺害され、残りのクラスメイト全員が容疑者となるミステリーである。全員実名で登場する。

 

 それをクラスのみんなが毎日回し読みしてくれた。「続きが気になるから早く書け!」「犯人誰なんだよ?」「まさかあたしが犯人じゃないよね?」「おいおい、なんで俺が殺されてんだよ!」etc. 僕がオリジナルの創作を人目に晒す初めての機会だった。

 

 一週間経ち、物語は完結した。みんな自分が登場するからか、最後までわりと面白がって読んでくれた。しかし、週末にはその学級日誌を担任に提出しなければならないのだ。困った。その場のウケを優先して、後先を考えない僕の悪い癖である。でも、仕方ない。僕はそれをそのまま担任に提出した。

 

 案の定担任から職員室に呼び出された。叱られて当然だ。学級日誌に書かなければならない情報は何一つ書かれておらず、その週だけびっしりと殺人事件の物語が書かれているのである。僕はゲンコツの一つでもくらう覚悟を決めて職員室に向かった。

 

 職員室に入ると、担任はじっと学級日誌を読んでいた。僕は怒られる前に謝っちまえとばかりに「すみません!」と頭を下げた。すると担任は顔を上げ、「関根、これ面白いな。文集に載せてもいいか?」と言ってくれた。そして、後日担任はその全文をワープロで打ち直して本当に卒業文集に掲載してくれた。

 

 思えばあのとき先生にこっぴどく怒られていたら、僕はそれに懲りてその後文章なんて書かなかったかもしれない。あのとき先生が褒めてくれ、ワープロで活字化してくれたことが嬉しかったから、今も書き続けているのかもしれない。自分の書いたものをクラスメイトが面白がって読んでくれたことに味をしめ調子に乗ってる僕を、先生が頭ごなしに否定せず、「ルール違反だ」とも言わず、拾い上げてくれたからこそ今の自分があるのかもしれない。

 

 その先生にはしばらくお会いできていないのだが、先日の新人賞受賞のことを報告するため久しぶりに手紙を送った。あの先生にだけはちゃんと報告したかった。嬉しい報せを伝えたいと思える恩師は僕にとってあの人だけだ。

 

 先生からはすぐに返事が届いた。とても喜んでくれていた。先生の近況も知ることができ、手紙を書いて良かったなと思った。

 

 でも、その手紙には実を言うと上記の「学級日誌」の話は書いていない。ちょっと照れくさいし、長い話になるし、手紙では感謝を伝えきれないような気がしたから。

 

 だからこの「学級日誌」の話は、いつか先生と再会したときに自分の口でちゃんとお伝えしたいと思う。来年くらいにその機会がありそうなので。