「愛の詩集」 室生犀星

室生犀星さんの第一詩集です。


まずは序詩における高らかな宣言で幕を開けます。

   序詩


自分は愛のあるところを目指して行くだらう
悩まされ駆り立てられても
やはりその永久を指して進むだらう
愛と土とを踏むことは喜しい
愛あるところに
昨日のごとく正しく私は歩むだらう。


「愛」といってもいわゆる恋愛を中心に書いているわけではなく、
自然や友や国や神へといった広義における愛が綴られています。
しかも愛の姿そのものというより、むしろ「愛を求める孤独の姿」が。


室生さん自身の生い立ちや環境の影響が大きいのでしょうが、
作品全体に痛々しいまでの孤独感が漂っています。
そして、それを慰めるには詩を書くより他はなく、
詩を書くことで幸せになれるとさえ信じているような
迫力を感じます。


この詩集は「故郷にて作れる詩」「愛あるところに」
「我永く都会にあらん」「幸福を求めて」の四つの章
から成り立っていて、いずれも平明でわかりやすく
短い作品群です。連分けされていない詩がほとんどですね。


僕が特に好きな詩は「はる」「永遠にやつてこない女性」
「よく見るゆめ」など。
また「何故詩をかかなければならないか」は、詩を書く者に
とっては興味深い悲痛な一編です。


ああ この寂しい日本
日本の芸術のうちで
いちばん寂しい詩壇
詩をかいてゐると
餓死しなければならない日本

   
     「何故詩をかかなければならないか」


また、この詩集の冒頭には北原白秋さんからの
長い献辞が寄せられているのですが、ここで北原さんは
室生さんのことを言葉を尽くして大絶賛しています。
これだけでも一読の価値があります。僕は、人が人をこんなに
褒めてる文章を読んだことはありません(笑)
巻末の跋文は萩原朔太郎さんからのもの。豪華ですね。
この三人がどれほど強い友情で結ばれていたかが分かります。


さて、しかしながら、僕はこの詩集の中でひとつだけどうしても
好きになれないところがあります。
それは、室生さん自身が冒頭の「自序」に書いていることです。
以下に抜粋してみます。

詩は単なる遊戯でも慰籍でも無く、又、感覚上の快楽でもない。
詩は詩を求める熱情あるよき魂を有つ人にのみ理解される囁きをもつて、
恰も神を求め信じる者のみが理解する神の意識と同じい高さで、
その人に迫つたり胸や心をかきむしつたり、新しい初初しい力を
与へたりするのである。はじめから詩について同感し得ない人や、
疑義を有つ不信者らにとつて、詩は存在し得ないし永久に囁く
ことがないであろう。


時代的なことや、室生さんがキリスト教に傾倒していた
こともあるのかもしれませんが、
僕は上記の考え方に頷くことができません。
むしろ正反対の考えを持っています。


しかしながら、上記のような考え方は、現代詩の中にも
脈々と受け継がれているところがあって、
僕はそれこそが人々から詩を遠ざける一因となっている
のではないかと考えています。



愛の詩集 (愛蔵版詩集シリーズ)

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