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「水瓶」 川上未映子

奇才的な感覚を持った表現者というのがいます。
世の中にはわりとたくさんいます。
そういう人の作った「音楽」や「絵画」や「映画」や
「小説」を僕は好きで、楽しく味わうことができます。


ところが、奇才的な感覚を持った人の書いた「詩」だけは、
昔からどうしてもついていくことができません。
詩に最も多くの時間触れているにもかかわらず。
「すごいな」とは思うのですが、愉しみ方が分からない。
奇抜な音楽や映画を愉しむようには。
詩の場合だけはどうしても「ついていけない」あるいは
「届かない」あるいは「太刀打ちできない」という感じが
先に立ってしまうのです。


この川上未映子さんの新刊詩集も早速二回読みましたが、
ほとんど「ついていけない」という感じで、ひどく
取り残されたような読後感に襲われてしまいました。
ついていける人が羨ましいとも思いつつ。
自分が凡人であることもつきつけられて。


川上さんの感受性や言語感覚というのは天才的というか、
やはり常人をはるか超えたところにあるような気がします。


この詩集は


「戦争花嫁」
「治療、家の名はコスモス
「バナナフィッシュにうってつけだった日」
「いざ最低の方へ」
「星星峡」
「冬の扉」
「誰もがすべてを解決できると思っていた日」
「わたしの赤ちゃん」
「水瓶」


という九つの散文詩で編まれています。


僕はJ.D.サリンジャーさんの大ファンなので、
シビルが老婆になったという設定で書かれた
「バナナフィッシュ〜」は、興味深く読むことができました。


「わたしの赤ちゃん」は、川上さん自身が出産の経験を
通じて書かれた一編のようです。


そして、ついていけないながらも「治療、家の名はコスモス
という詩は好きな一編です。これは面白かったなあ。
「鳩」と「出入り口」に尋常ではない恐怖心を抱く
女性の心情を描いたもの。


川上さんはミュージシャンでもあるからか、どの作品も
非常に音楽的というか、言葉が「音」を持っているな
という感じを受けます。


もしかすると「朗読」というのが、この詩集の愉しみ方の
ひとつなのかも・・・とそんなことを思いました。


僕は文学的な才能や感性のほとばしりという点において、
現代の若手女流作家の中では川上未映子さんと綿矢りささんに
特に注目しています。次世代を担うのは、このお二方では
なかろうかと。



水瓶

水瓶