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追悼・やなせたかしさん

先日やなせたかしさんが94歳で他界されました。


やなせさんは一般的には漫画家や絵本作家
としての印象が強いかもしれませんが、
実に多くの詩を書かれていて、僕にとっては常に
目指すべき先頭を走っていらっしゃった方です。


やなせさんは、「詩人」と呼ばれることを嫌い、
詩というものに対してどこまでも謙虚で、
一貫して「分かりやすさ」と「抒情」というものに
こだわり抜いていたように思います。



僕にとってバイブルである『だれでも詩人になれる本』(やなせたかし著)
の「はじめのことば」は、やなせさんの自己紹介であると同時に
詩に対しての姿勢がたいへん分かりやすく示されています。
以下に一部抜粋します。


   はじめのことば


まずこの本をかいたひとが
どんなひとか 説明します
詩についてかくのですが
本人は詩人ではありません
それでも詩集と名のつくものは
十五冊
「詩とメルヘン」
「いちごえほん」
の編集責任者として
編集したり
詩やメルヘンの選をしたり
表紙の絵 詩の挿絵
カットなどをかいています
一ヵ月に約五篇の詩と
約五本のメルヘンと
約二百枚の絵をかきます
本職はCクラスの漫画家で
認める人とてありません
もちろん詩人の仲間ではなく
誰にも師事せず
どんな詩人全集をみても
ただの一語の説明もありません
ぼくはひとつの心の表現の手段として
詩に近いかたちが
便利だと考えているだけで
だから
このまえがきも
こんなかたちでかいています
この方が読みやすい
話しやすい
そう思っているだけで
たしかにこれは詩じゃないし
これから先も詩はかかない
それなのに
なぜこんな本をだすのかといえば
たぶん
あなたもそうだからです
ほとんど大部分のひとは
そんなにたいした詩人じゃない
ぼくとおんなじように
ごくありふれた人間で
血も涙もはなくそもある
しかし
なんだかさびしくて
この人生のギザギザの中
なにかしら
一瞬の心の安息をもとめ
たとえば詩の本を読んでみる
たとえば自分もかいてみる
しかし
なんと現代詩はむつかしくて
頭の痛むことでしょう
それゆえ
ぼくはこの本をかきます
ぼくとおんなじ人たちよ
ぼくらは詩人じゃないけれど
せめて心の奥底の
孤独あるいは激情を
なにかのかたちで話したい
せっかくこの世に生まれたから
生きるしるしをみつけたい

やなせさんはこうした著書や『詩とメルヘン』『詩とファンタジー』を通じて
いわゆる難解な現代詩とは一線を画した「親しみやすい詩」を
取り上げ、育て、世に広めることに尽力された唯一の方でした。


やなせさんが精力的に編集に携わったこれらの詩誌が、
他の詩誌にはない唯一無二の光を放っているわけは、
やはり『だれでも詩人になれる本』の中で彼自身の筆により
最も端的に示されているように思います。


詩の同人雑誌などを見ますと、先生を中心にして、筆頭の門人が巻頭のほうに大きい活字でのっていまして、はじめて投稿したひとは、おしまいのページのほうにちいさく三段組みになっていて、よく読んでみると、時として三段組みのほうにキラリと光るものがあったりします。
 同人雑誌でない場合でも、高名のひとが良いページでいばりかえっております。
 しかし、詩にはもともと、こういう差別は許されないので、他の芸術と違って、六十歳のひとでも三歳の幼児の詩に負けたりすることがおこり得ます。十年、一生けんめい努力したから進歩するかといえば、血涙しぼって努力しても、はじめて詩を書いた小学生のほうがまさる場合もあります。


(中略)


 こんな面白い芸術はめったにないので、これがつまり誰でも詩は書けるということになるので、どんなに流行作家になったり、有名になったり、詩人協会会長になったりしても、いい詩がかける保証というものはなにひとつない。危険きわまりない仕事ですが、この一瞬も油断できず、年功序列なしというのが詩の最大の魅力で、むしろそれこそが人間の到達する理想的社会であるのに、その中にさえもひとつの階級をこしらえ、セクトをつくり、さらには鑑賞者まで作家の名前をみて、それが誰某大先生の作品であるから傑作と、頭から信じてありがたがるのはまったくのまちがいとしかいいようがありません。

 

『詩とメルヘン』は、上記のようなことがまかり通る詩世界へのある種の
反逆として旗揚げされたのではないでしょうか。
『詩とメルヘン』の流れを汲む『詩とファンタジー』でも、やなせさんは、
ある程度知名度のある詩人の作品も、一般主婦の作品も、小学生の作品も
わけへだてなく、見開きの同一規格で掲載しています。
そこには、有名無名や年功序列といったヒエラルキーは皆無です。
純粋に「作品」のみに目が向けられた「フェアな世界」です。
それはまぎれもなくやなせさんの偉大なる達成であり、
これからも決して失われてはならないものだと僕は考えます。


僕は「詩」という表現作品は、書いている人のほとんどが
「プロでない」のがいいところだと思っているのですが、
やなせさんもこの著書でそれについてこう触れています。



 世の中には、たしかに詩人という肩書を名刺に印刷してる人もいます。それはそれで結構ですが、どうもぼくの好みとしては、自分で詩人というのはおかしいような気がします。
「あの人は詩人だ」
 というのは第三者がいうことで、本人がいうと妙なぐあいなのです。詩人連盟会長などという肩書も、どうも何だか決まりがわるい感じです。
 詩人はもともと野のひとであって、年功序列などというものとは無関係ではありませんか。もし、そんなものにこだわるのなら、そのひとはすでにぼくのいう詩人とはちがうひとです。
(中略)
 エラクナッチャ イケナイ! とぼくはおもいますね。
 だから、詩人なんてあんまりならないほうがいいので、お医者さんとか学校の先生とか、パン屋さんとか、そういうほうがいいのです。そして、仕事に疲れて、その時何かが頭脳のひだひだの中に浮かんできたなら、それをノートにかきとめればいいので、もしかしたら、それを第三者が読んで「これはいい詩ですね」というものがかけているのかもしれない。
 ぼくはそういうふうにおもいます。
 やむなく職業詩人になったとしても、やはり心の奥底のほうは純粋のままに残しておく必要があるので、それは現代を生きていくにはむしろ弱点とおもえるような繊細な精神のおののきですから、困ったものです。


また、別の箇所でもこのように述べられています。大変共感できる文章です。




 ぼくは、あなたがもし良い詩人になりたいなら、その前に燃える心の人でありなさいといいたいのです。
 いや、良い詩人になりたいなどとは考えない方がいい。まして詩人協会の会員で文学全集にのりたいなどとは考えては駄目です。
 あなたがもしもパン屋さんなら、良いパンをつくる事に情熱を傾けることです。そのことによってかならず魂はなにかに衝突する。そして眼にもみえない微粒子がとびちって、時としていい詩が生まれるのです。


簡単なことばで誰にでもわかる詩を書いている方は、きっと大勢いるはずです。
でも、そういう方たちが今日本で作品を発表しようとすると『詩とファンタジー』に投稿するか、
Web上にUPするかしか選択肢がないのが実情ではないでしょうか。
でも、だからこそ、そういう「やなせチルドレン」のような人々が作品を作り続けること、
発表し続けることが、やなせさんが開拓してくださった詩の世界を守るということに
繋がるような気がします。
遺志を継ぐというのは大げさですが、少なくともやなせさんのスピリットを継承
することになるのではないかと。
力及ばずながら僕もその一人になることができたら嬉しいです。




やなせたかしさん。
ありがとうございました。
あなたがいてくださったおかげで、僕はまだ詩を書いています。
これからも書いていきます。
あまりにも精力的に働き過ぎてお疲れのことでしょうから、
しばらくゆっくりお休みください。
そして、ときどき空の上からのぞいてください。
あなたが広げてくださった大地の上で
ぼくらがどんな詩を書いていくのかを。




最後にやなせさんの詩を一編ご紹介します。
個人的には、やなせさんらしさがいちばんよく表れている
作品だと思います。


 ちいさなテノヒラでも

       
ちいさなテノヒラでも
しあわせは つかめる
ちいさなこころにも
しあわせは あふれる
ちいさなクチビルにも
しあわせは うたえる
ちいさな私でも
しあわせを 夢みる


私の髪をしめらせて
こんなに雨はふるけれど
にぎりしめた手の中に
ほんの小さな幸せがある


私のこころはとても小さい
あなたのことしか考えられない