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茨木のり子展

世田谷文学館で開催中の「茨木のり子展」に行ってきました。






<現代詩の長女>と呼ばれる茨木さんの直筆原稿・掲載誌・書簡から
身に着けていたもの・詩「椅子」に書かれたスウェーデン製の椅子まで
様々なものが展示されていました。


川崎洋さんとたった二人で創刊したという同人誌『櫂』は、
少数精鋭という主義のもと、当時新進気鋭の詩人であった
谷川俊太郎さんや吉野弘さん大岡信さんらを加え戦後詩を牽引しますが、
その現物も多数展示されていました。
なんだかすごいメンバーで鳥肌が立ってしまいますね。


中でも僕がグッときたのは、詩集『歳月』の原型になった
「Yの箱」の現物と原稿を見たときです。
この詩集は茨木さんが遺された「Y」と書かれた箱に入っていた原稿
によって構成されていて、すべて先立たれた旦那さん(Y)への愛が綴られています。
「一種のラブレターのようなので照れくさい」との理由で
生前には公表されなかった作品群。
男性による一人の女性への愛の詩集には『智恵子抄』がありますが、
女性による一人の男性への愛の詩集は『歳月』の他にはちょっと思いつきません。


僕はこの展覧会に行く前に茨木さんの詩集をまとめて読み返しました。


『対話』
『見えない配達夫』
『鎮魂歌』
『人名詩集』
『自分の感受性くらい』
『寸志』
『倚りかからず』
『歳月』


以前このブログで『自分の感受性くらい』
http://d.hatena.ne.jp/sekineyuji/20090219#1235054914

『倚りかからず』
http://d.hatena.ne.jp/sekineyuji/20110628#1309263236
について書いたことがありますが、
茨木さんの作品は柔らかさと厳しさと品格にあふれていて
今でも僕を包み、叱咤し、励ましてくれます。


代表作「見えない配達夫」「わたしが一番きれいだったとき」「六月」
「自分の感受性くらい」「倚りかからず」などをはじめとして
傑作は数知れずありとてもご紹介しきれませんが、
最後に改めて僕が胸に沁みた一編をご紹介します。
今回の展覧会でも大型のパネルで展示されていました。



   汲む
      −Y・Yに−


大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました


初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました


私はどきんとし
そして深く悟りました


大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです



世田谷文学館茨木のり子展」

http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html