ブログ=日記?

たまには詩集の感想以外のことを書きましょう。


とはいえ、依然として「ブログ」ってどういうことを
書いたらよいものか、いまいち分からず戸惑っています。
人に尋ねてみたところ「日記を書けばいいんだ」と
言われましたが、それで余計に困ってしまいました。


どうやら僕の中では、「日記」というものは
「誰にも見せないことを前提として書き、鍵をかけて
しまっておくもの」というイメージが根付きすぎている
のかもしれません。それ故に飾らず本音を吐露できるわけで、
他人様に見られる前提で書くものとは一線を画すのでは
なかろうかと。


考え方が古すぎるんですかね。
今や皆さん、「人に見せることを前提として」
ブログに日記を書いてらっしゃいますもんね。


でも、はっきりとは分かりませんが5年前とか
10年前とかくらいまでは、「日記」と言えばもっと
プライベートでシークレットなものでしたよね?
それが、ここ何年かの「ブログ」というものの普及により
「日記」というものの性質が一気にパブリックなものに
変貌した気がします。


手前味噌ですが、僕が「新世紀イワン」という作品の中で、


発信しちゃうんだ タイムリ
公表しちゃうんだ ダイアリー


という一節を書いた時には、まさにその事態に
新鮮な驚きを感じていた頃だと記憶しています。


これは、従来の「日記」というものの根底を覆す
大変革ではなかろうかと・・・。
現在、日記帳にこっそり自分だけの秘密を綴って、
鍵をかけて誰にも見せずにしまっているという人は
どのくらいいるんでしょうか?
その前に、鍵付きの日記帳って今でも売ってるのかな?


たとえば、太宰治さんの「正義と微笑」は、
読者に読まれることを前提として書かれた
「日記的小説」ですよね。
逆に、高野悦子さんの「二十歳の原点」は、
おそらく誰にも読ませないつもりで書いた「日記」を
亡くなった後に誰かが公表した。
ここには大きな違いがあるように僕は思います。


そういう意味では、今「日記」というものは、
「正義と微笑」的なものに近づいているのかもしれません。
あるいは、匿名性ということをうまく使って
二十歳の原点」的なことをネットに公表している
ということなのでしょうか。う〜ん・・・。


ともあれ、僕の日常なんてごく平凡なもので、
とりたてて公表したいことなんて何もないし、
写真を載せて、今日こんなものを食べましたとか
今日こんなやつらと飲みましたなんてことを載せても、
そんなもの誰が興味あるかって話ですし・・・


という具合で、未だに何を書いたらよいか分からず、
結局、不定期に詩集の感想を書いているという次第です。


でも、そのおかげで色々な詩集を改めて読み返す
きっかけになっていて、個人的にはすごく勉強に
なっています。偉大な詩人の方々の作品に触れて
触発されるプラスと、自信をなくすマイナスの
どっちが大きいのやらって感じではありますが・・・。


ともあれここ最近では、
「703」「兎居酒屋」「サンドウィッチ・ナイト」
「I LOVE YOU」「かささぎさん」「ほこり」等々の
新しく書いたものを「作品集」の方にUP致しました。
ご意見・ご感想などございましたらお気軽に
コメントやメールにてお知らせください。


先日、カンヌ映画祭パルムドールを受賞された
ミヒャエル・ハネケ監督が、受賞コメントで
「自分では欠点ばかりが目につき、作品に満足した
ことは一度もない」とおっしゃっていましたが、
僕自身未熟者ながら、大変共感致しました。


次元は違えど、僕も自分の書いたものに満足した
ためしなど一度たりともなく、その恥を消さんがために
次の作品に向かう日々です。