「われに五月を」 寺山修司

寺山修司さんは、長い間僕にとってごく個人的な理由で
克服できずにいる詩人でした。


僕が最初の詩集を書いていた十代の頃、その作品を読んだ
ある方から「寺山修司もどき」と言われたことがありました。
今考えれば光栄な言葉でもあるのですが、当時はそれが
嫌な響きを伴って耳についていました。


なにしろ僕は当時まだ寺山さんの作品を一度も読んだことがなく、
「読んでもないのに『もどき』もくそもあるか!」という
気持ちだったのです。そして妙な意地が変な角度で働いて
「読んでたまるか!」になっていった。
よく分からない理屈ですが。


その後、大学四年生くらいの時に、一度読んでみようと
思いたち角川書店の『寺山修司詩集』を買ってみました。
そうしたら、まったく似てないどころか『もどき』の
足元にも及んでいない(笑)
非常に多才な作品ばかりで、変な意地など張らずもっと
早く読んでおけばよかったと・・・。


ところが、その本には写真が何枚も載っているのですが、
それがどれもこれも怖いんですよ(笑)
人形とか少女とか何かの像とかの写真なのですが、
どれも怪しげな雰囲気を醸し出していて、夢にでも
出てきそうな不気味さなのです。
(もちろん個人的にそう感じるだけですが)


それで、またなんとなく苦手になってしまった。
寺山修司という名を聞くと、詩よりもその写真が
浮かんでしまって。
そんな風に、巡り合わせがうまくかみ合わなかったせいか、
僕はずっと寺山さんを克服できずにいました。
(くだらない理由ですね)


最近になって『われに五月を』を手にとり、
わりと純粋に作品を読めるようになりました。
(幸い写真も載ってない)
これは寺山さんが十代の頃に書かれたそうで、
その早熟ぶりに目を見張るばかりです。


それにしても、多才な方ですよね。
肩書だけあげても、詩人・劇作家・歌人俳人・小説家・
演出家・映画監督・作詞家・脚本家・随筆家・評論家・
俳優・写真家etc.
本業を問われた寺山さんが
「僕の職業は寺山修司です」と答えたというのは
有名な話。


この『われに五月を』も、詩・短歌・俳句・散文と
バラエティに富んでいて、「詩集」というくくりで
ご紹介するのは気がひけるのですが・・・。
それらのジャンルの作品を一冊の本に収めている人
というのは他に例がない気がします。


長いこと克服できずにいた分、これからじっくり
親しみを深めていきたいと思う詩人です。
とは言っても、なんだかんだうちの本棚には
「家出のすすめ」や「書を捨てよ町へ出よう」をはじめ
寺山さんの著作は5冊くらい並んでいるので、
折に触れ読んではいるんですけどね。
ただ写真だけは今でもちょっと怖いなあ・・・。



われに五月を (愛蔵版詩集シリーズ)

われに五月を (愛蔵版詩集シリーズ)


われに五月を (ハルキ文庫)

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