「突然訪れた天使の日」 リチャード・ブローティガン

僕はビート・ジェネレーションだかビートニクだかについては
よく分からないのですが、ブローティガンさんの詩には
理屈抜きに惹かれるものがあります。


まず、この本を一読して誰しもが思うのはおそらく
一編が「短い」ってことですよね。
三行とか四行とかの詩が多くて。
日本の俳句の影響を受けているというのは聞いたことがありますが、
そのせいでしょうか。


一見すると、ふと心に浮かんだことをポロッとつぶやいたような。
ブローティガンさんにツイッターをやらせてみたら
面白いんじゃないかと、勝手な想像をしてしまうのですが・・・。



   「葉書」


御年八十四歳のカーネルサンダースはフライドチキンの
話をしながらアメリカ中を旅して回っているけれど
うんざりすることはないのかしらん。

とか



   「モーニング・コーヒーの真横で」


この詩を書き終えたら、朝の
コーヒーをのもう。
そこで質問。ぼくはきょう一日を
こんなふうに始めたいと思っているのか
どうか?

とか・・・。
ツイッターでこんなことをつぶやいてる人けっこう
いる気が・・・なんて言ったら怒られちゃいますね(笑)
でも、いかにもツイートのような短い一編には
ガツンとインパクトのある衝撃や、キラリと眩しい輝きが
内包されています。


日本の詩を読みなれていると、ブローティガンさんの
自由奔放ぶりに圧倒されることになります。
本文より題名の方が長い詩とかあるんですから。
「そんなのありか??」って感じで。


どの詩もその短いフレーズがやけに耳に残るんですよね。
目で追って読んでるだけなんですけど、
何故か不思議と「耳に残る」んです。
そして、とにかく比喩がぶっ飛んでいる。



あたしの糞ったれ人生の最高に
見事にハングリーな朝は
フライド・ポテトのようにファックしてよ。

とか、もう完全に飛び越えてますよね。その有無を言わせぬ響きが
定石の垣根を乗り越えて容赦なく耳にまとわりつくのです。
そして気付くとやみつきになっている。


もちろん訳者の中上哲夫さんの力も大きいと思います。
僕は海外の詩で感動できるものは、訳者の力が
かなりの割合を占めるのではないかと思っているので。


ちなみに辻征夫さんの詩集『河口眺望』の中に
「突然訪れた天使の日の余白に」という連作詩があって、
これはブローティガンさんの短い詩の後に(まさに余白に)
辻さんが様々な表現を付け足す形で書かれています。
その試みは斬新で、併せて読むとたいへん面白いです。



突然訪れた天使の日―リチャード・ブローティガン詩集

突然訪れた天使の日―リチャード・ブローティガン詩集