2024年8月10日新川和江さんが95歳でお亡くなりになりました。僕にとっては憧れの詩人であり、また産経新聞「朝の詩」にて作品を取り上げていただいた選者の方でもあります。今改めて確認しましたら、僕が投稿を始めた2010年から新川さんが選者を交代された2018年までの間に26編の詩を掲載してくださいました。
僕が「朝の詩」に投稿を始めたのは、新川さんが選者だったことがきっかけです。当初はもっと長い詩を中心に書いていたので、「10字×14行」という条件が自分にとっては未開のサイズ感でした。しかし、採用不採用を繰り返す中で、僕は勝手に新川さんからご指導をいただき鍛えられているように感じていました。今も短詩を書き続けていられるのは、新川さんのおかげです。感謝の思いは尽きません。
元々僕は新川さんの詩が大好きで、追悼詩を含む『記憶する水』(思潮社)・現代詩よりでありながらも親しみやすい『ブック・エンド』(思潮社)・恋愛詩を集めた『千度呼べば』(新潮社)・選集である『新川和江詩集』(ハルキ文庫)などを愛読していました。特に春・夏・秋・冬と季節ごとに編集されている『春とおないどし』(花神社)は最も繰り返し読んだ一冊です。これはそれまでの詩集未収録作品を集めたいわば「B面集」のような作品群ですが、個人的にはこの詩集こそがバイブルのようになっています。その中から一編、着眼点に驚かされた詩を引用してみます。
木かげにはいると…
木かげにはいると
わたしのかげも
手をつないでいた子どものかげも
どこかへ消えてしまいます
きっと木が
だまって脱がせて 預ってくれたのでしょう
日ざかりの道を歩いてきて
汗だくになり
よれよれになった わたしたちのかげを
ベンチにかけて
ひとやすみしているあいだ
木は 四方にひろげた枝をゆすり
葉という葉を総動員して
わたしたちのかげを
風にクリーニングさせたり
ほころびをつくろったりしてくれます
すっきり細く
背丈もぐんと伸びたかげを
返してもらい
日がすこし傾いた道を
わたしと子どもはまた手をつないで
家へ帰ります
新川和江詩集『春とおないどし』(花神社)2000年 より
新川さんの作品は、このように親しみやすく心が和むような詩もあれば、人間の本質に厳しく切り込むような詩や恋愛詩や追悼詩もあり、詩集によってかなり表情が異なります。一筋縄ではいかない幅広い多面性を持ったところが魅力です。ただ平明で大らかな作風であること、自然と一体化する視点をお持ちのこと、比喩が多彩であることは大きな特徴といえる気がします。
「産経抄」の追悼記事に「仕事場は、書斎でなく台所。仕事道具は、原稿用紙でなく裏白の紙。詩人の新川和江さんにとっては、それが詩作の流儀だった。文壇の高みから世の中を見下ろすのではなく、市井の感覚を詩の1行に込める。そこに心を砕いた。」とありましたが、それがまさに新川さんの人間性や作風を端的に示しているように思えます。また、36年間選者を務めた「朝の詩」を交代される際の記事に「健やかな精神と向き合い」という見出しがありましたが、おそらくその姿勢こそが「朝の詩」を長年支えてきたのでしょう。
このたびの訃報はたいへんショックですが、僕はこれからも新川さんの作品を読み続けていきます。お会いすることは叶いませんでしたが、「朝の詩」の投稿を通じて学ばせていただいたことは僕にとってかけがえのない宝物です。心よりご冥福をお祈りいたします。どうもありがとうございました。
最後にもう一編、追悼の意をこめて引用させていただきます。教科書に掲載された代表作「わたしを束ねないで」や、有名な「ふゆのさくら」「千度呼べば」「ひばりの様に」、あるいは詩について書かれた「さういふ星が……」「詩作」、死について書かれた「沈丁花」「エスカレーター」「見渡せば…」「水栽培のヒヤシンスの傍で」「遠く来て」、他にも大好きな「海浜ホテルにて」「雪うさぎ」「同じ森に日は沈み…」「欠落」「この足のうら」「草シネマ」etc. どれにしようかさんざん迷いましたが、あえてふたたび詩集未収録作品集『春とおないどし』からご紹介させていただくことにしました。なんとなくこういう作品こそが新川さんの追悼にふさわしい気がしたので。
三月のうた
ひとかたまりの小石さえ
魂も凍らすような
ひえびえとした影を長く曳く
月の素顔を見てしまった夜
こどもよ おまえに
どんな歌をうたってあげよう
せり なずな ごぎょう はこべら
ほとけのざ……
めぐりくる季節に
しめり気をおびた黒い土から
かぎりなく優しいものを噴きあげる
この星の歌をうたってあげよう
小川の水は歓びの声をあげて走り
ゆらぐ水草のかげ 雑魚はふとる
昼は太陽に 夜は明るいだんらんの灯に
どの家の屋根の窓も
いつもほのかにぬくんでいる
この星はよい星 あたたかい星
新川和江詩集『春とおないどし』(花神社)2000年 より