先日まど・みちおさんがお亡くなりになりました。享年104歳。
おそらくほとんどすべての日本人が幼少期にまどさんの詩に触れているでしょう。
「ぞうさん」「やぎさん ゆうびん」「ふしぎなポケット」「一年生になったら」
など童謡として親しまれているものもたくさんあります。
今回の訃報の中で、多くの方々が「まどさんの詩から元気をもらった」
「まどさんの詩を読むと幸せになれた」とコメントしているのを見かけました。
詩は人を元気にしたり幸せにしたりすることもできるのだ、
そんなことを改めて教わったような気がします。
まどさんの詩の素晴らしさについては以前このブログで書かせていただきました
『百歳詩集 逃げの一手』
http://d.hatena.ne.jp/sekineyuji/20100301#1267459245
『まど・みちお 全詩集』
http://d.hatena.ne.jp/sekineyuji/20100604#1275662804
ので、今回は追悼の意を込めて僕の好きな二編をご紹介したいと思います。
ぼくが ここに
ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない
もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない
ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として
まどさんは作品の中で多くの生き物を取り上げていますが、
そこには必ずその「存在」そのものを肯定する意識があります。
それは上記の詩のような考えが根底にあるからかもしれません。
最後にもう一編。『百歳詩集 逃げの一手』に載っている作品です。
「まど・みちお」と「百歳」が出会わなければ生まれ得なかった
詩ではないかと思います。
休みずき
わかいころの私はよく
おとしよりはいつも 一ぽ一ぽ
休みながら あるいておいでだな
とおもいながら ながめていた
いずれ私も ああなるんだなと・・・
いま としよりの私のあゆみは
おかしくなるほど そのとおりだ
ふみだした どの一ぽも
ちゃくちの 一しゅん
ホッとして やすんでいる
が しばらくあるくと
まちきれないように たちどまる
あたりみまわし そらをみあげたりで
やすんでござるのだ どこかへ
なにかしにいく とちゅうであってもだ
こうして よるのねむりの
大休みにはいるのだがこれを
365かいくりかえし そのくりかえしを
100かいくりかえして ホントの大休みに
たどりつく人もこのごろは珍しくない
大休みのなかから うまれてきて
小休みに 中休みをまぜてやりつづけ
さいごにまた 大休みにかえっていく
という かれんないきかたを
かみさまが させてくださっているのだ
ひとだまし いきものだましどころか
このごろは ひとごろしいきものごろしに
あけくれしている にんげんも
ほんとはこんなに休みずきの
かれんないきものにつくられてはいるのだ
まど・みちおさん、たくさんの素晴らしい作品をありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。心置きなく「大休み」をなさってください。
ご冥福をお祈りいたします。
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