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「いのちより大切なもの」 星野富弘

詩集

先日「星野富弘 花の詩画展inお茶の水 いのちより大切なもの」
に行ってきました。
星野さんの存在や作品についてある程度のことは知っていましたが、
こうしてじっくり向き合ったのは今回が初めてでした。

いのちが一番大切だと
思っていたころ
生きるのが
苦しかった


いのちより
大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった

       「いのち」


星野さんは若き日に頸髄を損傷し、手足の自由を失いました。
そして入院中、口に筆を加えて詩や絵を描きはじめ、
数々の作品を生み出していきます。


今回、星野さんの作品ひとつひとつと対峙しながら、
花の絵に宿るやさしさや美しさ、言葉に潜むつつましさや希望
といったものに胸を打たれました。
いくつかの作品の前では人目もはばからず涙もこぼしてしまいました。


熱が出た
静かに寝ていよう


熱が下がった
さあ
元気に寝ていよう


     「熱が出た」


星野さんの詩は絵と共に味わうのが醍醐味です。
(なので、言葉だけここに引用するのは気が引けるのですが・・・)
たいていは草花の絵ですが、そこに描かれている草花と詩が
きちんと関連しているのです。
そこでまたハッとさせられます。
例えば、


今日も一つ
悲しいことがあった
今日もまた一つ
うれしいことがあった


笑ったり 泣いたり
望んだり あきらめたり
にくんだり 愛したり


そしてこれらのひとつひとつを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の
平凡なことがあった


この詩には「日日草」の絵が描かれています。
そんな風に詩と絵が互いに呼び合っているのです。


世の中には類似した作品というのもけっこうあります。
口当たりのいい言葉と絵でポストカードなどの商品になったりして。
東急ハンズ」なんかによく売ってるような。
しかし、それらの類似品がまるで胸に響いて来ず、
薄っぺらいものにしか感じられないのは、
人生に抱えているものの背景が星野さんとは圧倒的に
異なるからではないでしょうか。


展覧会の出口付近でビデオの上映会をやっていました。
そこには、ベッドに横になったまま口に筆を加えて
一心に絵を描いている星野さんの姿がありました。


絵の具は星野さんの指示を受けたお母さんがパレットにだして
溶いていました。このお母さんの無尽蔵の献身がなければ、
星野さんの作品は生まれ得なかったことでしょう。


再現VTRの中でこんなシーンがありました。
お母さんが星野さんの口元にスプーンを持って行き
ご飯を食べさせているとき、ふと汁を顔にこぼしてしまう。
すると星野さんは苛立ちやもどかしさからか思わず
口の中のご飯をお母さんに向かって吐き出し「もういやだ!」
「くそばばあ!」「なんでオレを生んだんだ!」
と辛くあたってしまう。
お母さんは泣きながらご飯粒を拾う。
そんなこともあったと回想・告白されていました。


星野さんのやさしくあたたかな詩画を見たあとでは、
少しばかりショックを受けるシーンです。
でも、僕はとっさに「これだ!」と思いました。
世に流布している類似品と星野さんの作品を隔てている鍵は、
この壮絶さの中にあるのだろうと。


おそらくこれだけの作品を生み出すまでには、
星野さんにもお母さんにも我々には計り知れないような
葛藤や闘いがあったに違いありません。


今回の展覧会を記念して出版された本を一冊買って来ました。
展覧会のタイトルと同じ「いのちより大切なもの」という詩画集。
前述の背景を思いながら作品を見ると、さらに胸が詰まります。


最後にその中から一つの詩をご紹介します。
展覧会で僕が一番印象に残った作品です。

神様がたった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れるぺんぺん草の
実を見ていたら
そんな日が本当に
来るような気がした


いのちより大切なもの (Forest books)

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